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2015年07月06日

【小説】その瞳に写るもの 35

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清廉な風がほほをなでて去っていく。
俺と春花は高台で立ちつくしたまま、遠くに広がる草原を眺めていた。
彼女はさりげない仕草で首からさげていたカメラのレンズを俺にむけた。

カメラに隠れてその表情は読みとれないが、手は小刻みに震えていた。

「それが瞳に焼きついて離れなくて……人を撮ろうとすると手が震えるようになった」

駅のロータリーで俺にむけられた視線を思い出す。
あのとき春花はシャッターを押さなかったのではなく、押せなかったのだ。
写真を生きがいにしている彼女にとってそれは、どれほど辛いことなのだろうか。

「だから最近は、風景写真が専門なんだよね。イケメンが撮れなくて残念だ」

春花はカメラを持つ手を腰のあたりまでさげてほほをゆるませた。
地方で売られている民芸品の人形のような、きれいすぎる笑顔だ。

普段の俺なら適当に相槌をうって会話を終わらせる。
他人だから関係ない、とつきはなす。自分がだれかに与えられる言葉などはないのだ。

しかし、このときばかりは感情の抑えがききそうにないことを悟る。
大海原で遭難している船のような、先行きの見えない不安と心の揺らぎがそうさせたのかもしれない。

春花は自覚しているのだろうか。
そういう表情は、泣き面を見せられるよりもはるかに気分を害するのだということを。
俺はこみあげてきた憤りをふさぐ術を知らず、ほとんど無意識に強い口調で喋りはじめていた。

「自分がされて嫌なことを人にしてどうすんだよ」
「えっ……」
「お前もその友達も、私は相手のために我慢してます、苦しんでます、って自己犠牲の押し売りなんだよ。
そんなもの見せられてる家族の気持ちとか考えたことあんのか」
「それは……」
「大体な、めんどくせぇんだ。
悲しいなら泣けばいいし、辛いならだれかに甘えればいい、楽しいなら笑えばいいだろ。
ガキのくせに意地はんなよ!」
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posted by c-book at 18:36| 【小説】その瞳に写るもの