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2015年07月06日

【小説】その瞳に写るもの 36

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言い終えてから我に返った。
怒りにまかせて自分はなんと偉そうな罵詈雑言を浴びせたのだろう。

説教できるほどの関係を彼女と築いたわけではないし、
春花自身がそれを最善だと考えて行動しているはずなのだ。

なにより俺は人間ができていない。
自身の心の行方さえもつかめない男に彼女を責める権利などないのだ。

「素直になれ、ってこと」と春花が問う。
ああ、いや、その――と言葉に詰まり、どう答えていいか分からなかった。

素直に、まっすぐに、正直に生きられればどんなに良いのだろう。
世間体を保つための偽善も、その場をとりつくろうための嘘もつかず、
自身の気持ちを相手に合わせて変えることもしなくていい。

ただ、それがどんな事柄よりも難しいのだ。
世の中はそれが通るほど優しくはできていない。
だから、春花もその友人である里奈も苦しんでいる。

俺は思考をやめ、少しうつむきながら静かに口を開いた。

「悪かった。その……言いすぎた」
「違う。質問に答えて」
「……そうになれればいい。でも、それはたぶん今より、ずっとしんどい」

中途半端な言葉しか返せない自身に、ひどく嫌悪感を覚えた。
春花を傷付けてしまったのだと後悔していた。
泣かれても、殴られてもしかたないようなことだ。

だが、彼女の反応は俺の予想していたものとは違っていた。

「素直に……感じるままに……」

顔を上げると、春花がカメラを握りしめたまま俺をじっと見つめていた。

その顔は喜怒哀楽のどれにもあてはまらず、
しいてあげるなら万有引力を発見したあの偉大な学者が木から落ちたりんごをただ凝視しているような、
とてつもない心理をひらめいた表情だった。

「そっか、そうだよね。このままだとなにも解決しない。うん。きっとそうなんだ」
「な、なにがだよ」
教えない、と言ってごまかされた。なんだろうか、この奥歯に物が挟まるような感覚は。
「変なヤツだな……」
「藤原さんって良い人だね」

どこが、なのだろうか。むしろ大半の人間が大人気ないと卑下すると思う。
春花は、はにかみながら答えた。

「みんな、私のこと腫れ物みたいに扱って何も言ってくれなかった。
だから、どうしていいか分からなくて……だれにも相談できなくて。
でも、藤原さんはちゃんと怒ってくれた。叱ってくれたから」

俺はそそくさと煙草を取りだして一服をした。
遠くの空から吹きつける風が、白いけむりと少しばかりの気恥ずかしさを連れて消えていった。
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posted by c-book at 18:40| 【小説】その瞳に写るもの