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2015年07月06日

【小説】その瞳に写るもの 39

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13時前にロータリーにたどりつき、俺は駅と真向かいにある古びた喫茶店のドアを開けた。
からんからんと鈴が鳴り、少し生暖かい空気がもれてきた。
店内にはカウンターとテーブル席があり、昼食を楽しむ客でそれなりに繁盛しているようだ。

俺は春花から渡された井上の写真を確認しながら店の中を歩く。
ブラインドが閉じられた窓側の席に彼女はいた。

ただし、最悪な状況で。

井上の目の前にはあの有名週刊誌の記者がいたのだ。
彼はテーブルに茶封筒を出して相手の様子をうかがっている。

何を話しているのかは分からないが、井上の口が頻繁に動いているのを目視できた。
やがて記者が立ちあがり、俺の方へと歩いてきた。

すれ違いざまに顔を合わせるとその神色から歓喜と興奮が読みとれた。
瞬時に脳が、まずいことになったと認識した。

俺は井上に近づき、簡単な挨拶をする。
彼女はさりげない仕草で封筒を鞄に押しこんで何事もなかったかのようにおじぎを返した。

以前に勤めていた旅行雑誌の名刺を差しだす。
動揺を隠しきれずに手が少し震えていた。
彼女がそれを受けとり、俺は対面側の椅子に座った。

「春花ちゃんから聞いていますよ。美人仲居の特集なんですよね」
「ええ。ご協力、感謝します」

井上には旅行雑誌の取材だと嘘をついていた。
他にも記事が掲載されるまで守秘義務があるという理由をつけて、
他者にこのことを喋らないよう口止めしてある。

万が一、町内会に報告されてしまうと行動を制限されるおそれがある。
彼女に正体を明かすのは最後の手段だと考えていた。

「叙庵は有名な老舗旅館ですし、美人でなおかつ仕事のできる方を紹介してほしいと言ったのですが、
期待通りで助かりますよ」
「まあ、お上手ですね」

井上はまんざらでもないという様子で答えた。
口には出さないが本当のところ、容姿は中の上くらいだと思う。
きれいなのだが雰囲気が暗いというか、幸が薄そうなのだ。
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posted by c-book at 18:59| 【小説】その瞳に写るもの