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2015年07月06日

【小説】その瞳に写るもの 45

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テーブルに置かれた冷水の氷がかすかな音をたてる。
俺は自身の腕でつくった暗がりに目線をおとしたまま春花の話を聴いていた。

「里菜には余計なことしないで、って怒られるかもしれない。
私、いつもあの娘のことふりまわしてるから。仕方ないよね。
でもさ、意外とあっけないものだよ。こんなに簡単だったんだ、って思う」

声をかけるつもりはなかった。

春花の顔に作り笑いの仮面がつけられていたからだ。
それは決壊しかけたダムのように今にも水が溢れだしてきそうな顔だった。

思い返せば、昨日から彼女はそういう表情をしていたのかもしれない。
だれにも心配をかけさせまいと我慢していたのだろう。
俺は暗闇のなかで、空気中の水分濃度が増していくのを感じていた。

「うん。けど、少しだけ。ほんのちょっとだけ怖かった」
「そうだな」

俺はそろそろと頭をあげ、深いため息とともにそう呟く。
些細な一言で歯止めがきかなくなると面倒だと考えていた。
これでは三十路まぢかのおっさんと歳若い女が喫茶店で別れ話をしているみたいではないか。

旅先とはいえ世間体がある。
立つ鳥あとをにごさずというのが俺のポリシーなの――だが、もう何もかもが手遅れだ。

俺はうつむいて震えている強がりな女の子にてのひらの傘をさした。
柔らかい髪を優しくなでると雨はいっそう激しくなり、小さなむせびが聞こえた。

この雨は、しばらくやみそうにないと思った。
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posted by c-book at 19:29| 【小説】その瞳に写るもの