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2015年07月06日

【小説】その瞳に写るもの 46

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店舗の軒先でひなたぼっこをしている猫がちいさなあくびをした。
平穏を絵に描いたような光景だ。

こんな日に仕事をしなくてもいいなんて最高に幸せだ、
編集部に連絡して次の仕事の段取りをきめて温泉めぐりでもしよう、となかば自暴自棄になりながら考えた。

喫茶店を後にした俺たちは温泉町の通りをゆっくりと歩いていた。
隣にいる台風女は、雨あがりの青空のように晴ればれとした表情をしている。
先ほどまでどしゃ降りだったのに、えらく移り気なのだと思った。

「藤原さんって彼女いるの」

いたりいなかったりするが、こいつには関係ないだろ。

「温泉饅頭が食べたいとは思わないか」
「あっ、話をそらした。私が食べ物につられるとでも思ってるの」
「いらないならおごってやらん」
「うそうそ、ごめん。欲しいです」

俺は通りの脇にある土産物屋に入り、店頭で調理されている饅頭を2つ買った。
蒸せたにおいをかぎながらそれを食べると、控えめな甘さが口に広がる。

春花は饅頭をぱくつきながら店のおばさんと会話――いや、小芝居をしていた。

「春花ちゃん、今日はどうしたの。そちらはもしかして!」
「実はゆきずりの関係で、私は無理やり慰み者にされて」
「まあ、なんてことなの。すぐに理事に報告しなきゃ」
「やめてください。お母さんに言ったら、彼はきっと湯船に沈められてしまうわ!」

三文芝居に口を出したくはないのだが。
「どこのサスペンス劇場だ。というか無理やりなのはこいつの方――」

「春花ちゃんから誘ったのね。最近の若い娘は積極的だから」
「いや、あのですね」
「でもね、おばさんはあなたたちのことを応援するわ。
年齢や親の反対という障害を乗りこえて愛の逃避行。すごく素敵じゃない」

俺は春花にむかってため息まじりに「なんなんだ、この町は」
「この人は特にノリがいいんだ」

おばさんは小劇場の幕をおろしたのか、少し恥ずかしそうに言う。

「ごめんなさいね。うちもこの時期は暇で、テレビばかり見てたらやってみたくなって。
温泉町といえば殺人事件とワケありカップルの密会が華でしょう」
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posted by c-book at 19:34| 【小説】その瞳に写るもの