clear.gif

2015年07月06日

【小説】その瞳に写るもの 62

--------------------------------------------------------
最初から読む(目次へ)⇒

--------------------------------------------------------
次の日の朝、俺は鈴竹の部屋で目を覚ました。携帯電話のアラームではなく――

「藤原さん、起きて」という春花の声で。

かけ布団を取り上げられ、芋虫みたく身体を縮めた。
学生ではあるまいし、こういう体勢をとるのは10年ぶりではないだろうか。

寝ぼけまなこで頭上にいる声のぬしを見る。
彼女はラフな服装をしていて、腰のあたりに前掛けをつけていた。
すごく所帯じみたスタイルだ。

朝食の手伝いをするために着替えたのではないかと思われるが、
春花に現在時刻を聞くと真夏の太陽みたいに暑くるし――満面の笑みをうかべて「6時半だ」と答えた。

朝食まで1時間ほどあり、なおかつ起こしにきてくれと頼んだ覚えもなく、
マスターキーを使って宿泊客の部屋に不法侵入したあげく、
ひとときの安眠を妨げるとはどういう思考回路をしていやがるんだ、こいつ。

鈴竹の手伝いをする前に、自室の床下に散らばっているであろう頭のネジを探してこいよ。
その間に二度寝しているから。

そんなことを考えながら俺は上半身を起こしてあぐらをかいた。

「なんでもありか。睡眠妨害で訴えるぞ」
「早起きは三文の徳って言うでしょ。まあ、勝手に鍵を開けたのは謝るよ、ごめん」
その仕草はトラウマになるから見たくない。
「で、なんのようだ」

神城たちに逃げられたあと、俺は春花や元哉さんと鈴竹への帰路についた。
だれもがみな口を閉ざしたまま淡々と歩を進めた。

鈴竹の玄関でいつもと変わらない穏やかな様子の恵子さんが待っていた。
ある程度の事情を夫から聞いた彼女は表情ひとつ変えず、娘のほほをはたく。

春花はうつむくことも涙を流すこともなく、まっすぐな瞳で恵子さんを見ていた。
私は何も悪いことはしていないという顔付きでだ。

根負けしたのか恵子さんはため息をつき、俺にふかぶかとおじぎをした。
俺はそのまま宿泊している部屋へと連れて行かれ、今に至る。
--------------------------------------------------------
次の話へ⇒


posted by c-book at 21:46| 【小説】その瞳に写るもの