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2015年07月06日

【小説】その瞳に写るもの 64

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春花はいくらか答えを考えたあとで。

「私は、撮りたいと思ったから神城さんにカメラをむけたの。
少し前までは人の顔を撮ろうとすると無意識に手ぶれを起こしてたけど、
あの時はしない気がしたから」

予想だにしない答えが返ってきたために呆れてものが言えそうになかった。
単純で明快で実にばかばかしい理由だ。それでも少しだけ口から搾り出した。

「自分のためか」
「うん。そう」
「……あれは仕事だ。趣味じゃない。
学生みたいに何でも好きに撮って暮らしていけるなら俺もそうしている!」

彼女は少し驚いたという表情をして、俺の顔をまじまじと見た。

しんとした心地のよい静けさが部屋に満ちてゆき、俺たちは沈黙したまま時を止めていた。
やがて春花は、まるで口癖にしている言葉を喋るように
意識して心のどこかを偽るわけでもなく自然に話しはじめた。

「写真は自分の見たもの、感じたものを残すためにあるの。
撮りたいって思ったら、感じるままにシャッターを切るべきだよ」
「ばかばかしい。じいさんのうけうりか」
「違うよ」

春花はゆっくりと胸に手をあて、透きとおった優しい声で言う。
とても大切にしている宝物を箱にしまうように、自身の心にも語りかけるように。


「これは私の言葉。私の写真の在りかた」


罪悪感のないどこまでも澄んだ純粋さ。

恐怖すら覚えるほどの愚直さ。

ただまっすぐに自我を貫く貪欲さ。


俺は今さらながら確信した。彼女は普通ではない。
自身の美学をただひたすらに追及するために生きている――真の意味で写真家なのだと。

春花の純然たる言葉は俺の中にぽぅっとあわい火を灯し、風穴のあいた心の在りようを照らす。
それを見て恥ずかしいのかもどかしいのかよく分からない気持ちを感じた。

羞恥心を悟られたくないから、俺はいつの間にか理屈で固めた反論をしていた。

「現実はそんなに簡単じゃない」
「うん」
「嫌なこともしていかなきゃならない」
「だから私は撮りつづけたいんだ。嫌なことも良いこともひっくるめて全部」
「……仮にそうだとしても、このフィルムはお前のものだ。受けとれない」

春花はそんな静止も聞かず黙ってフィルムケースを畳の上に置き、立ち去ろうとした。

「持って帰れよ」
「やだ」
「いいから」
「それは、私からの恩返しなの」
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posted by c-book at 22:01| 【小説】その瞳に写るもの