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2015年07月06日

【小説】その瞳に写るもの 65

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意味が分からない。
恩を売った覚えなどない、と言うと彼女はしてやったりという面持ちで。

「藤原さんも素直になれば分かるんじゃないの。
子供みたいに意地をはらずに気持ちの赴くままに行動しろ。
そう言って、大人げなく怒ったのはどこのだれだっけ」
「それは……」
「あのときとは状況が違うってことは分かってる。
けど、私はこの写真を撮ったことを後悔してないよ」

春花はそう言って、黒いフィルムケースを置いたまま部屋を後にした。

俺は布団に体をあずけて天井を仰いだ。
なんとなく、むしゃくしゃしていた気分を晴らすためにまぶたを閉じて暗闇に逃げた。
だが、目が冴えていたため眠れなかった。

体を起こして窓際へ行き、カーテンを全開にした。

温泉町を隔離していた雲は夜のうちに消えていた。
今そこにあるのは、
小さな綿雲が気持ちよさそうに泳ぐ青空と白けむりをあげる古めかしい町並みだ。

それはまるで、町全体が雲をつくる工場となっているかのように、
しみじみとした風情をかもしだしている。
まばたきをするたびに日のかげりやけむりの位置が変わるため、
二度と同じ姿を見せることはない。


その時だ――鈴竹の階段脇にかけられていた写真の情景が頭をよぎり、俺は唐突に理解した。


朝靄を透過して柔らかくなった陽光をうける山、刺さると痛そうな軒先のつらら、
底にある砂利まで見えそうなほど澄んだ雪解けの川、春を彩る花が咲き乱れた並木道。

いつまでも見ていたくなるかけがえのない世界の一瞬は、
たった一度のシャッターで切り取られたものではないのかもしれない。

数え切れないほどの失敗があるなかで最も輝いていた一瞬があの写真なのだ。

写真を撮るたびにかすかな虚しさを感じていた。
その感覚は少しずつ増してゆき、痛みをごまかしていると肥大するがん細胞のように、
いつのまにか心に大きな風穴を開けてしまったのだと思っていた。

だが、本当は見えないことに怯えていただけで、
認めてしまえば実にたいしたことのないちっぽけな穴だった。
穴を塞ぐ方法も、ずっと前から知っていたような気がする。

あれこれと難しく考えることではないのかもしれない。
心のおもむくままに行動すればいいのだ。
それを、歳がひとまわりも違う女の子に教えられるとは、なんと情けないのだろうか。



俺は両頬を手でぱんっと叩いて、愚かだった自分に渇をいれた。
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posted by c-book at 22:08| 【小説】その瞳に写るもの