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2015年07月02日

【小説】くだらない話 31

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side 新井シンジ「嘘つきと泣き虫」
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「お前、誰だよ」

その問いに答えるつもりはなかった。
村沢先輩が納得する理由を持ち合わせていないからだ。

だから、先に足が動くことを確認する。緊張は解けているようだ。いける。
走り出そう、とした。


「待って……」と神谷が僕を呼び止めた。


先輩はその声を聞いて唖然としている。
彼氏としては当たり前の仕草だ。

「私……私……」

おい、ちょっと待て。なんで泣き出すんだ。
なんで呼び止めるんだ。意味が分からない。
そんなに見られたことが嫌なのか。泣きたいのはこっちだ。


なんで、そんな――


拳を強く握りしめていた。
手の中は不快になるほど汗ばんでとても何かを触れる状態じゃなかった。

そんな手で、うつむいて肩を震わせる彼女の腕をつかんだ。

「ちょっ、なにしてんだよ」と先輩が言った。

僕にも分かりません、と言いたかったができなかった。
そうする前に僕らは全速力で走りだしていた。



校舎裏の白い壁、

花壇の花、

グラウンドの土煙、

校門の錆びた扉、

電信柱の張り紙、

流れては消える景色のなかでただひとつ鮮明なもの――

驚いた彼女の顔だけが僕の瞳に残っていた。
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posted by c-book at 17:16| 【小説】くだらない話

【小説】くだらない話 30

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できなかった。



僕は、なすすべなく抱きしめられている女子の後ろ姿に見覚えがあった。
あの日、夕暮れの校舎裏からグラウンドへと駆けていった背中だ。

ふたりの距離がなくなる。その瞬間がきた。


「ナオ……」


気がつくと僕は声を出していた。
とたん、動きを止めていた女子が男子の腕を振り払った。

なんだ、今日の僕はどこかおかしい。
彼女たちは付き合っているのだからそんな行為をしてもおかしくはない。

むしろ邪魔をしているのは僕だ。

ここからいなくならなければ、
主人公ではなくエキストラでいなければ、
いつものように適度な存在感を保たなければ――


「新井くん……」


神谷は僕のほうをむいて静かに、悲しげにそう言った。

胸のあたりの温度が急激に上昇した。
氷の入った冷水から一気に沸騰したお湯に変わるようだ。

そして、それはすぐに蒸発して空虚な器だけが残った。

今すぐにでも逃げ出したい。

互いにそう思っていただろう。
空白となっていた時間を切り裂いたのは、村沢先輩だった。
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posted by c-book at 17:14| 【小説】くだらない話

【小説】くだらない話 29

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校門をくぐり、誰もいないグラウンドの脇を抜けて花壇へつづく道に入る。
僕のいる西側から東側へと伸びる道には、夕日によって茜色のラインがひかれていた。

正面に立つと、巨大な影ぼうしがうかびあがる。
それは踏もうとするたびに逃げていった。

屋根のある通路をつっきって花壇の前に立つ。

咲き乱れる花は橙と群青のフィルターがかけられており、本来の色を失っているようだ。
見つめていると、心がからっぽになるような気がした。

僕はそこから右へ進み、校舎の裏手にある倉庫へ向かおうとした。


突然、強い風が吹いた。


花壇の花や近くの雑木林が揺れる。

ほのかな花の香り、
がさりがさりと木々のこすれる音、
湿った生暖かい空気、

それらがこの場所に浸透していくなかで、とても小さくか細い声を聞いた。


「いや……」


僕はふりかえり、正面にある体育館の裏手のほうを見た。

暗がりの中に制服姿の男女がいる。
男子のほうは女子を抱きしめ、徐々に顔を近づけていく。

女子のほうは少し抵抗していたものの、徐々にその動きを止めていった。

嫌な場面に遭遇した。
これでは、いけないところを必ず目撃する家政婦さんと同じだ。

校舎の裏手のほうへ逃げてしまおう、と思った。
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posted by c-book at 17:12| 【小説】くだらない話