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2015年07月06日

【小説】その瞳に写るもの 67

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ふたりは呼吸を合わせるように深いため息をつき、
春花は朝食の用意を終えてからずっと自室にこもっているのだと話してくれた。

両親と顔を合わせるのが嫌なのだ。
彼らが食堂で交わしていた会話は、いつものような明るい掛け合いではなく、
事務的な話ばかりで表情もどこか曇りがちだった。

神城との一件で生じた心の亀裂が小町家にどこかよそよそしい空気を漂わせていた。

「すいません。見送りに来るようにと言ったのですが」

彼女には世話になりっぱなしだ。俺からは何も返せていない。
それに、家族を仲たがいさせたまま帰ることはどうしてもしたくなかった。

春花の自室を元哉さんに教えてもらい、俺は靴をぬいで玄関へ上がった。

一階の奥へとのびる廊下を歩き、
温泉浴場を通りすぎた先に小町家の人々が暮らす居間や寝室があった。
その中から春花の部屋を見つけて声をかけた。

「おい。いるんだろ」
反応がない。
「いじけてないで出てこいよ。もうすぐ学校へ行く時間じゃないのか」
引き戸ごしに声が聞こえる。
「分かってる。藤原さんが帰ったらちゃんと行くから」
「信用ならないな」

引き戸が開けられ、制服姿の春花が出てくる。
手には学生鞄とカメラが握られていた。
彼女はこれでもまだそんなことが言えるの、という眼差しをしていたので、
俺はそれに降参だという仕草で応えた。

「送ってさしあげましょうか。お嬢さん」
「結構です。行きがけに里菜の家に寄りますから」と不機嫌な様子だ。

ああ、そういえば、と俺は思い出したように呟いて上着のポケットから黒いフィルムケースを出した。
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posted by c-book at 22:22| 【小説】その瞳に写るもの

【小説】その瞳に写るもの 66

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朝食をすませたあと、俺は部屋の荷物を整理していた。
当初の予定どおり今朝でこの町を経つことにしたのだ。

編集部には電話をかけ、神城の写真は撮れなかったと報告した。

他誌の記者も神城たちを撮影できていないため、
彼らの関係が明るみになるのはもう少しあとになるだろう。
春花から渡されたフィルムに写っている可能性はあるが、
あれは彼女の功績であり、俺のものとして公開するつもりはない。

捨ててしまえばいいような自尊心だとも、今後のために大金を優先すべきだとも思う。
だが、もう決めたのだ。

報告のついでに、編集部との契約を切りたいという話をした。
しゃがれた声の記者から理由を聞かれたが、一身上の都合としか答えなかった。

俺が本当に撮りたいものは何なのか。いちから考えなおしたい。
そして、導き出した答えを曲げずに、堂々と胸をはって生きていきたい――
なんて恥ずかしくて言えるはずがないのだ。

荷物を持って階段を下りるとき、壁にかけられている写真を見た。
春夏秋冬の情緒があふれる景色は時を止めたまま存在し続ける。
しかし、俺にはそれが昨日よりも美しくなっているように思えた。

駐車場まで行き、車のトランクを開け、荷物を積みこんで閉めた。

何気なく仰いだ空は澄んだ青色をしていて、
朝の爽やかな風と鳥のさえずりとともに俺の門出を祝ってくれているように思えた。

出発の準備を終わらせた俺は、鈴竹の玄関先で仲睦まじくたたずんでいる小町夫妻にあいさつをする。

「ご迷惑をかけて誠に申し訳ありませんでした」
「ああ、そんなにかしこまらないでください」と恵子さんが言う。
「私どもの方こそ娘が迷惑をかけてしまい、
本当に申し訳なかったと思っております」と元哉さんが頭をさげながら言った。
「そういえば娘さんはどこに?」
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posted by c-book at 22:15| 【小説】その瞳に写るもの

【小説】その瞳に写るもの 65

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意味が分からない。
恩を売った覚えなどない、と言うと彼女はしてやったりという面持ちで。

「藤原さんも素直になれば分かるんじゃないの。
子供みたいに意地をはらずに気持ちの赴くままに行動しろ。
そう言って、大人げなく怒ったのはどこのだれだっけ」
「それは……」
「あのときとは状況が違うってことは分かってる。
けど、私はこの写真を撮ったことを後悔してないよ」

春花はそう言って、黒いフィルムケースを置いたまま部屋を後にした。

俺は布団に体をあずけて天井を仰いだ。
なんとなく、むしゃくしゃしていた気分を晴らすためにまぶたを閉じて暗闇に逃げた。
だが、目が冴えていたため眠れなかった。

体を起こして窓際へ行き、カーテンを全開にした。

温泉町を隔離していた雲は夜のうちに消えていた。
今そこにあるのは、
小さな綿雲が気持ちよさそうに泳ぐ青空と白けむりをあげる古めかしい町並みだ。

それはまるで、町全体が雲をつくる工場となっているかのように、
しみじみとした風情をかもしだしている。
まばたきをするたびに日のかげりやけむりの位置が変わるため、
二度と同じ姿を見せることはない。


その時だ――鈴竹の階段脇にかけられていた写真の情景が頭をよぎり、俺は唐突に理解した。


朝靄を透過して柔らかくなった陽光をうける山、刺さると痛そうな軒先のつらら、
底にある砂利まで見えそうなほど澄んだ雪解けの川、春を彩る花が咲き乱れた並木道。

いつまでも見ていたくなるかけがえのない世界の一瞬は、
たった一度のシャッターで切り取られたものではないのかもしれない。

数え切れないほどの失敗があるなかで最も輝いていた一瞬があの写真なのだ。

写真を撮るたびにかすかな虚しさを感じていた。
その感覚は少しずつ増してゆき、痛みをごまかしていると肥大するがん細胞のように、
いつのまにか心に大きな風穴を開けてしまったのだと思っていた。

だが、本当は見えないことに怯えていただけで、
認めてしまえば実にたいしたことのないちっぽけな穴だった。
穴を塞ぐ方法も、ずっと前から知っていたような気がする。

あれこれと難しく考えることではないのかもしれない。
心のおもむくままに行動すればいいのだ。
それを、歳がひとまわりも違う女の子に教えられるとは、なんと情けないのだろうか。



俺は両頬を手でぱんっと叩いて、愚かだった自分に渇をいれた。
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posted by c-book at 22:08| 【小説】その瞳に写るもの